2009年8月6日木曜日

秘仏公開  東大寺東南院持仏堂 理源大師聖宝坐像♪

東大寺は 大きな境内に 一般公開されていない場所が 一杯あるようです。

8月6日は「聖宝忌」で 毎年法要されているのですが 今年は「聖宝理源大師1100年御遠忌」で
普段は公開されない 東南院持仏堂 理源大師聖宝坐像にお会いできるという ほんとの「特別」の日なのです。

南大門の両側に仁王さまを仰ぎ見て
    立派な雄鹿が 出迎えてくれました。

  

◆理源大師(聖宝僧正)とは
大峯山中興の祖とされる修験道当山派の開祖でもあり また京都の醍醐寺を開山もされました。今年は没後1100年という節目なので 10月には醍醐寺で御遠忌大法要が行われます。

東大寺にとっても 大変重要な僧侶で 戒壇院にて具足戒を受戒され 東南院(現東大寺本坊)を開かれ、三論・真言・法相・華厳・律などを学ばれ 三論の教学の師でもあったそうです。そして東大寺別当も勤められた方です。
 


◆餅飯殿(もちいどの)と大蛇

 近鉄奈良駅と奈良町を結ぶ商店街に「餅飯殿(もちいどの)商店街」があります。この地名にも理減大師が 関わっておられるそうです。

   ……

 むかぁし むかし まだそのあたりが 餅飯殿とは呼ばれていなかった頃の話じゃ
 箱屋勘兵衛という武勇の先達が住んでおったそうな。勘兵衛は よく吉野の鳳閣寺の理源大師のもとへ参ったのじゃがな その時いつも大師の好物の餅、飯などを持参したそうな。それで大師は勘兵衛のことを「餅飯殿、餅飯殿」とたわむれに呼んだというんじゃ。 このことから勘兵衛の住んでいた町の名前が餅飯殿となったのだとか。 

 この鳳閣寺には、理源大師と箱屋勘兵衛の武勇伝が伝わっておるんじゃよ。 ほれ… あの役行者が大峯山を開山してから約二百年後のことじゃった。
 山中の阿古滝に大蛇が住み、霊場が荒れ果ててしまったことがあった。 そこで二人が、山中に入り、大法螺貝を吹き鳴らして大蛇をおびき出したそうな。そして大師が法力で大蛇を呪縛し、勘兵衛が大斧をふるって両断したというんじゃよ。
 こうして大峯山が復活した…というそうな…
 この大蛇退治の時の大法喋貝の音が百個の法螺貝をいっぺんに鳴らしたようだったことから山を百貝(螺)岳というようになり、鳳閣寺にはくだんの大法螺貝と蛇骨が寺宝として納められているそうじゃ。。。。
 
   ……
 
 このような昔話も言い伝えられている 理源大師…
 滅多に 入ることが出来ない 持仏堂は 本日午後1~4時30分まで一般に公開されるのです。
  場所は 南大門を入り 右手(東北側) 天皇殿の北側になります。
看板が こんな感じで出てるので 大仏殿に向かう人には わかり辛いですね><;
 
人の大きさと比べると いつ見ても おーーっきい!南大門!

 

5月の聖武天皇祭の時に ほんの数時間だけ入れるこの門から向こう…
やはり ドキドキするエリアです。
 
  
 
入り口で 今日のためのパンフレットを頂き 正面天皇殿の左手へと案内を受けます。
午後1時少し前に来ましたが ほとんど人がおられません。
参拝者が少ないがゆえ 余計に緊張する^^;
 
あの天皇殿が 迫ってきます…
砂利を踏む あたしの足音だけが 響いてるんですよ~
 



  校倉造りの蔵を背景に紅葉
 
いよいよ天皇殿の前に…
やっぱり緊張します この雰囲気…
今日は この階段を登り左手に行くらしい…
  聖武天皇さまに ご挨拶をして…
  きっと 「今日は何だ?」って思っておられるかも^^
  
 
左方を眺めると…
以前来た時は 閉まっていた門が開けられています…


 
  
天皇殿の傍を そっとまわり…
 
門の前に やってまいりました…
緊張しますね^^
ここから先は カメラ禁止区域です。
 
ので! 門をじっくりと お楽しみください^^;
 
  
 
門の中は それは 広々した本坊のお庭です。
以前 本坊で写経をさせて頂いたことがあるのですが
小川が流れ それは ゆったりとしたお庭なんですよ。

 
 
   
 
門の瓦…
 
 
庭の中を尚も 東の方に行きますと…
持仏堂が現れます。
お堂は 柱に朱の塗りが残っており
触ると 剥がれ落ちそうな… 
絶対触れてはいけないと 誰しもが思ったことでしょう。
 
威厳に満ちた 堂々とした風格のお堂です。
桜井の文殊院から譲り受けたお堂だそうです。
参拝者は あたくしを入れて4名ほど…
 
そっと靴を脱ぎ 開け放たれた堂内に入らせていただきました。
板張りの床も 磨かれ
東大寺の境内… 南大門のすぐ傍にあるにも関わらず
多くの観光客の気配を微塵も感じない静けさです。
 
撮影可能な外から せめて… 屋根だけでも…と^^

 
 
堂内に奉られている 理源大師聖宝坐像は
木造 彩色 像高76.5cm 江戸時代(元禄15年・1702年)
 
お香が焚き染められ 厳かな雰囲気です。
この像は 元禄15年に京都の大仏師法橋朝慶によって造られたそうです。
手には「五獅子如意(ごししのにょい)」を模した如意を所持され、学僧としての面目を示す像ということができます。「五獅子如意」は宇多天皇から理源大師聖宝に下賜されたといわれ、興福寺維摩会などの「南都三会(なんとさんえ)」の講師を務める際には必須の法具になったと伝えられています。(パンフより)
そして 以前は聖武天皇殿の左側に安置されてたのですが 文殊院からお堂を譲り受けた時に こちらに移動されたそうです。(守屋長老さまより) 
それにしてもとても柔和なお顔の 温かいお姿です。
 
その右脇に もう一体 これは餅飯殿から今日のために こちらに公開されたそうです。
「理源大師倚像(いぞう)」(餅飯殿町理源大師堂)
 木造 彩色 玉眼 像高41.0cm 江戸時代 餅飯殿町
 理源大師聖宝の山伏姿を現したもので、頭に頭襟・法衣の上に掛衣を着け、首からは梵天袈裟を掛け、小刀を左腰に挿し、左手に錫杖を執っておられます。高下駄を履いて腰掛ける典型的な当山派の山伏装束の像といえます。(パンフより)
 
二体とも 理源大師聖宝さまの お人柄が滲みでている像でした。
東大寺には多くの お坊様の像が存在しているのですが 今日また 素晴らしいお姿に出会えて 東大寺の歴史に触れた思いがいたします。
 
  
 
東大寺は 世界各国から毎日多くの観光客が訪れる寺院なのですが なかなか入ることの出来ない場所が 境内のあちこちに存在して ますます好奇心が募るところとなりました。