「秘仏公開・十一面観世音菩薩立像」 海龍王寺
平城宮跡の東に 気をつけないと 見過ごしてしまうような小さな山門があります。
高校生の時に「夏休みのレポート」で 訪れたことを懐かしく思い出しながら
「秘仏十一面観世音菩薩立像(鎌倉・重文)」の公開を楽しみに門をくぐりました。
このお寺は 初代住持の玄昉が中国から戻るときに嵐に遭い 持ち帰った経典の中の「海龍王経」を一心に唱え 九死に一生を得て無事帰国できたことから 遣唐使の渡海安全の祈願を営んだそうです。
へぇぇ~ 遣唐使の安全の祈願!
今更ながらに 奈良という地でこそ出会える歴史のワンシーンだなあと しみじみと感じました。
【山門 室町時代】 【中門】
海龍王寺の山門を一歩入ると中門までの参道は 築地塀に囲まれた不思議空間
【築地塀】
【本堂】
江戸時代の建物だそうですが 非常に美しいスタイル~
この廊下の板が とても暖かい雰囲気だったのです
幼い頃 祖父のお寺の廊下を 毎朝「拭き掃除」していた日課が よみがえりました^^
【不退寺・聖観世音菩薩立像 法華寺・十一面観世音菩薩立像・海龍王寺・十一面観世音菩薩立像】
本堂の中に入りますと 中央正面に ありましたありました!
像高94㎝ですから そんなに大きなものではありません
訪れる前に 海龍王寺HPを読んで 「切り金」の衣装を楽しみにしてたのですが
上品で 華やかで それは見事なものです
何気に 小さくて その姿を見ているだけでは 何故に国宝なのか解からないかもしれないのですが
この塔こそ 現存するたった一基の天平時代の「五重の塔」なのです!
以下 海龍王寺HPより引用…
海龍王寺は飛鳥時代から建っていた寺院をもとに創建されたので、限られた敷地の中に大寺院の伽藍の形式を持ち込まなければならないという困難な状況にありました。この事情の中で「東西両塔」を備えた伽藍の形式を持ち込むべく五重小塔を造立し、東金堂(明治初年に喪失)と西金堂の両金堂の中にそれぞれ納めたのではないかと考えられています。
なるほど~ 小塔の意味は そういうことだったのかぁ~と マジマジと眺めるのでした。
少し古い話ですけど 一時 奈良国立博物館に この小塔は保管されていたこともあります。
先日 訪れた 般若寺も それから奈良豆比古神社も・・・ やはり奈良国立博物館のほうで 丁寧に保管されているものがあるようなお話を聞きました
なかなか一寺院・神社で 古きものを保存・保管することは難しいものなのでしょうね