2009年7月14日火曜日

入江泰吉記念 奈良市写真美術館 「唐招提寺展」



御蓋山が 大きく見えるこの地域…
写真美術館で 待ちに待った展示会が始まっています。

この秋に完成する唐招提寺金堂平成大修理記念の写真展です。
あたしの大好きな「唐招提寺」を 大好きな写真家「入江泰吉」さんがどのように見てきたのか… それを楽しみにしてました。

     
 
この美術館自体が 建築家黒川記章さんの作品でもあります。
 
エントランスから 広がる庭には 「唐招提寺」展に因んで
「奈良蓮」が 置かれていました。
 
この蓮は 色が赤く 花弁形態は半八重。
唐招提寺戒壇前の池に伝わるものです。
花弁数は約30枚。
何よりも鑑真大和上の御将来の蓮として唐招提寺に古くから伝わるものだそうです。
 
   咲いていたらよかったんだけど…

    
 
そして 一階には喫茶コーナーがあり 展示室や資料室などは階下になります。
階段から 見下ろすと正面壁に 入江さんの親友 画家の杉本健吉さんの 陶壁「華精」という作品が飾られてます。
 
これは常滑焼で 花をイメージされたものだそうです。
かつて入江さんが 楚々としとた野の花が好きで
「美の究極は花である」と書き残し、
杉本さんも「華精」制作にあたり
「花はよくよく見れば、花の中にほとけがごじゃる」
との言葉を添えておられるそうです。(説明文より)



とてもかわいい ほとけさまがおじゃる… 

 
いよいよ 期待大きい写真展です~
 
  
 
全52作品には 入江さんの言葉が添えられていたりして
一つ一つに 立ち止まってしまいます。
 
戒壇は 今でこそ その一種独特の姿が 「戒律」の空気の中に凛とした空気を漂わせていますが 入江さんの写真でみると 昭和38年頃には 宝塔はなく基壇のみで しかも荒れ果てています。
とても 現在の様子を思えるものはありませんでした。
 
 
 
千手観音さまの手の表情に 心が温まり
露に濡れた御廟への道に 入江さんの足音が聞こえそうになり
知っている景色が このように彼に語りかけたんだと
写真館に居ながら 心は唐招提寺の境内を彷徨ってしまいました…
 
 
 
日本最古の校倉と講堂を背景に 
桜がハラハラと舞い散る瞬間を留めた作品には
こんな言葉が添えられていました。
 
  …
古色に彩られた講堂の人工美は周辺の自然によって美しく映え、
自然美もまた人工によって一層潤いを増す。
まさに「名画の残欠の美しいように美しい」境内である。
  …

   
 
今は 多くの人たちが「入江さんの撮った場所」を求めて歩き回ります。
あたしも 同じ景色を見てみたくて訪れることもあります。
 
でも… やはり 光・風・時代・・・ いろいろなものが 違うんですよね
 
昔 あたしは 毎朝7時過ぎ頃 駅の近くの喫茶店に立ち寄りました。
その店に 早朝の撮影を終えた入江さんが やはり立ち寄り
カウンターの端の席で珈琲を飲んでおられました。
あたしは いつも傍で会話を聞いていたのに…
あの頃は 何も知らなくて 「おはようございます」
と 小さく会釈して ご挨拶しか出来なかった…
 
そんなことを ふと思い出してしまいました。。。。

    
 
そして 小さなケースの中に展示されていたのは
52作品とは 別の 貴重な写真…
それは 東大寺戒壇院の千手堂内に奉られている「鑑真和上坐像」の写真。
昭和21年頃のものだそうです。
これは今 一般に公開されていないお堂のものなのです。
最近 東大寺の戒壇院によく通い たまたまその話を聞いたところだったので 個人的には 「やっとお会いできました…」という気持ちでいっぱいになりました^^;
 

 
写真展のほかに 映写室があり 入江さんの作品の数々を 30分ほどの上映で見ることができました。けっこう見ごたえがあったり 新しい感動があったりで これだけでもかなりお得かなと思います。
 


 
驚いたのは 東大寺の三月堂の写真。
第二次世界大戦後 疎開していた「国宝仏像」が
三月堂に運ばれるところ。
 
  
 
興福寺の阿修羅が技術を駆使して日通によって運ばれる様子は テレビで何度も放映される今日この頃…
輸送時の振動を最小限にし 阿修羅に衝撃が伝わらないようにとのプロジェクト!
 
すごいなぁ~ 国宝を運ぶには こんなことをしなきゃいけないんだなぁ~と思ってた…
 
    
 
ところが 入江さんが残した写真は…
昭和21年頃…
世紀の国宝が 人々に担がれて 三月堂に運ばれている様子…
 
国宝が素晴らしいのは…
いろいろな時代を 乗り越えてきているからなんだと…
 
ひょっとしたら 壊れてしまったかもしれないような
そんな場面を 乗り越えてきているその力強さ…
 
国宝と呼ばれる多くの「宝」の生命力を感じる写真でした。
 

      
 
第二次大戦後 GHQが 大和の仏像をアメリカ国内に持ち去るとの噂?が出て 大阪を焼け出され奈良で疎開していた入江さんが せめて写真で残そうと カメラを覗き始めた頃だったそうです…
 
   
入江さんの名を有名にした 戒壇院の広目天
 
奈良は あたしが生まれ育った町
その空気の中で 両親や祖父母に躾けられて
今のあたしの基礎が出来たと思ってます。
 
今日は 久しぶりに 幼い頃の空気に触れたような気がして
不思議な気持ちになりました。
 
やっぱり 大好きな町だと 思った日でした。。。。