上村松園さんの作品は なななんと! 「花がたみ」でした。
花がたみとは「花筐」で花籠のことです。
そして謡曲の「花筐」を題材に 照日の前(てるひのまえ)が天皇の御前で舞う様子を描いたものなのです。
謡曲「花筐」のあらすじ
春の越前(福井県)味真野。男大迹(おおあとめ)皇子からの使者が到着します。武烈天皇の後を継ぐべく都へ向かった皇子は、故郷・味真野に最愛の女性照日ノ前を残したままでした。使者は照日ノ前に、男大迹皇子からの手紙と愛用の花筐(花籠)を渡します。その手紙に涙した照日ノ前は花籠を抱いて、一人寂しく郷里へと帰ってゆきます。
時はやがて秋。大和(奈良県)では継体天皇(かつての男大迹皇子)が、玉穂の地に新たに都を造営中。そして臣下を引き連れ紅葉狩へ向かいます。一方照日ノ前は男大迹皇子を思うあまり、越前から侍女を連れて都へ向かいます。ときには南下する雁を頼りに、琵琶湖を越え、大和に至った照日ノ前たちは、継体天皇の行列に鉢合わせます。
行列先をけがす狂女と見なされ、天皇の臣下によって侍女の持つ大切な花籠を打ち落とされた照日ノ前は「そなたこそ物狂いよ」と、さらに昂ぶります。すると天皇の近くで舞うよう仰せが下り、漢の武帝の后・李夫人の曲舞を自らの思いを込めて舞います。そしてその花籠を見せるよう命じた天皇は、ようやくそれが正に照日ノ前に与えた花籠だと気付き元の様に側近く置こうと誓い、照日ノ前たちを伴い一行は都へ帰って行くのでした。
「狂う」と言えば精神を病むと思いがちですが、おそらく恋慕のあまり狂おしく思う状態を意味しているのではないでしょうか。
松園さんは「狂女」を描くために 本当の狂人を観察しに岩倉精神病院に2・3度見学に行ったそうです。その時のことも 著書に残しておられます。
また その顔を描くのに能面の「十寸髪(ますがみ)」を参考にしたそうです。
そして病院から帰宅した松園さんは祇園の雛妓に髪を乱させて、いろいろの姿態をとったり甲部の妓に狂乱を舞って貰って、その姿を写生し参考としたそうです。
松園さんの「美人画」の世界は こうして しっかりとした分析や観察の中から 余計のものを省き、大事なものを残していった結果 見事に現れる世界なのだなあと思いました。
美術館で この大作の前に立ち 細部に至るまで目を凝らしますと 繊細で緻密な筆運びが一杯で感動します。
肩にかかる 絹糸のような黒髪の乱れ…
宙を見つめる瞳…
美しく編み上げられた竹の花がたみの質感…
そこに結ばれた手紙…
照日の前の足元の扇…
衣装の重ねの色目と美しい柄…
隅々まで行き渡る松園さんの意気込みを感じます。
舞う紅葉の葉が 物語の切なさを全体に表しているのでしょうか…
松園さんはこんなことを仰っていました。
……一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵こそ私の念願である。その絵を見ていると邪念の起こらない、またよこしまな心を持っている人でも、その絵に感化されて邪念が清められる・・といった絵こそ私の願うところのものである。……