2008年12月16日火曜日

東大寺 良弁杉の物語と ついに見たこの景色♪

     大紙芝居「二月堂良弁杉」奉納公演:劇団「良弁杉」

 開山忌に開山堂に 行きましたら 午後2時から 二月堂の信者参篭所にて 畳一畳の「紙芝居」公演があるとのご案内を頂き これは楽しみ!と ワクワク わくわく♪


              【二月堂と良弁杉】
《良弁杉》

まだ、東大寺も二月堂もない頃、若草山(三笠山)のふもとに樹齢およそ六百年、高さ七丈(約20m)にも及ぶ杉の大木があった。その枝に一つ身に包(くる)まれた、生後一年ばかりの良弁(光丸)が掛けられていたとの風説から、後にこの木は良弁杉と名付けられるが、昭和36年(1961)の第二室戸台風(台風18号)で倒壊した。現在あるのはそれに挿し木をして育成した「良弁杉二世」である。
 
奈良町のわらべうたの館「奈良市音声館(ならしおんじょうかん)」を拠点に活動する「劇団良弁杉」さんの公演で しかも場所が二月堂の無料茶所の奥にある 北参籠所(信者さん用の参籠所)にて ということで ワクワク わくわく♪
初めて 踏み入れる所だったので そりゃ~もう 期待大!!
 


 

奈良の昔話「ろうべん杉」 ~簡単にご紹介~
むかし、滋賀県の志賀というところに夫婦がいました。永らく子供がありませんでしたので、観音様にお願いして男の子を授かりました。喜んで育てていましたが、ある日のこと、畑で仕事中、木陰で寝ていた赤子をワシがさらって行きました。母親の知らぬ間にスーと降りてきて、その子をワシづかみに掴んで空へ飛び上がりました。子供のいなくなったのに気づいた母親は飛んで行くワシの後を追いかけましたが、遠くに去って行くばかり。とうとうワシは奈良まで飛んでいきました。今の二月堂の下の杉の木にひっかけて食べようとしました。すると、その子の胸のあたりから後光がさしてワシの目がくらみました。ついに食べる事は出来ず゛あきらめて飛び去って行きました。その下をたまたま義淵(ぎえん)というお坊さんが通り、赤子の鳴き声がするので上をみると、枝に子供が引っかかっているではありませんか。すぐに人を呼んでこの子を降ろしてみると、懐に一寸八分(5.4cm)の金の観音様のお守りが入れてありました。義淵はこの子を良弁と名付けて育てました。良弁は後に立派なお坊さんになり、東大寺の建立に力を尽くしました。さらわれてから30年間、全国を探し回っていた母親ともその杉の木の下で巡り会う事が出来ました。その杉を「ろうべん杉」と云います。・・・・・とさっ^

たくさんのファンの人が押しかけ 細長い参籠所の中は 障子越しに優しい光が差し込んでます
大きな 紙芝居と それから 楽しい掛け合いで どんどんお話が すすんでいきます
 
 
 
良弁さんが 年老いたみすぼらしい婦人の子供であるということを 小さい頃から身につけていた観音さまのお守りでわかったときの 感動! 思わず目をぬぐう観客もおられました 
物語の中に すっかり はまりこんで 素晴らしいエンディングに 心が震えていたときのことです!
 
   「今でも ここに ろぉ~べんすぎが あったとさ!」
       のとたん 障子が パッパッパッと 開けられたのです!
 
   あああ~!!! わぁぁ~!!!
 
 
二月堂・お松明が上がってくる階段・三月堂も見え そしてそして 良弁杉!
冬だというのに 暖かい陽射しの中に 素晴らしい 奈良の景色が広がったのです!
 
あたしにとっては 何よりの贈り物でした。
大好きな写真家 入江泰吉先生の作品の中に 雪の二月堂を撮ったものがあるのですが いったいどこから…この景色…と いつも思っていた その景色が 目の前に広がったのですから もう 心臓が バクバク!
 
ああ~ ここだったんだ! 此処から見た二月堂だったんだ~!と 大騒ぎ^^
会場を皆さんが片付けておられる間も ずぅ~~~~~っと 景色に見惚れておりました…
 
 
すごく すごく 感動しちゃいました^^
 
  
  参籠所の 障子からさし込む陽射し優しく 
     誘われて 開ければ 大屋根がそこに
  遠くに連なる青垣の山々……
     美しさに ため息ばかりの ひとときでした