2008年12月16日火曜日

東大寺 鐘楼の丘 特別開扉♪ と釘打の弥陀♪

「鐘楼の丘」とは 大仏殿の東側の台地のことです
念仏堂・鐘楼・俊乗堂・行基堂が あるんですよ~

本来は 7月5日に「俊乗忌(しゅんじょうき)」…鎌倉時代に「造東大寺大勧進」として大仏殿をはじめ東大寺の伽藍を復興され、建永元年(1206)、86歳でその生涯を終えられた俊乗房重源上人の御忌にあたる法要の日に 特別拝観させて頂けるのですが 12月16日の 良弁僧正の開山忌にも 拝観料500円で 拝観させて頂けるのです
 
ということで いそいそと「鐘楼の丘」に 参りました
NHKの「ゆく年 くる年」で 何回か放映された 除夜の鐘のシーンが 浮かびます


 重さが26.3トンもある大鐘は 国宝!
 東大寺創建当初のもので 鐘声の振幅が非常に長く
 「ゴォォォォ~~ォン~ォン~ォン~~」って感じなのでしょうか…
 「奈良太郎」という愛称もあり 日本三名鐘の一つとされているそうです。
 
 
 
鐘の真下から見上げてシャッター!
けっこう ドキドキするんですよ^^;
 
そして ぐるりと 見回して 先ず目に入ったのが 朱塗りの「念仏堂」(重文)
この写真(下左)の 11月に撮影したものですが 普段 扉は 閉まっています。
今日は 開けてくださってましたので 地蔵菩薩坐像(重文)さまと ゆっくりとご対面です~
かなり 大きさあるので のぞいて びっくり^^ですよ


 
そして そこから目を北に・・・・
小さいですが 凛とした 「行基堂」があります。
ここも 今日は 扉が開けられてますので 行基さまとご対面できるんです
これは もとは重源上人の御影堂だったのですが 元禄時代に上人の像を「俊乗堂」に移したので、仏師賢慶の造った行基菩薩坐像が安置されてます。
この行基さま… とっても厳しいお顔されてます
びっくりするくらい 厳しい雰囲気が漂ってるんですよ~
 
【行基堂】

 
そして、いよいよ 「俊乗堂」!!
内部は 結構広く 中央に重源上人坐像(国宝 快慶作)が ご本尊として安置されています。
 
重源上人と東大寺…
 東大寺は治承4年(1180年年)、平重衡の南都焼討によって伽藍の大部分を焼失。大仏殿は数日にわたって燃え続け、大仏(盧舎那仏像)もほとんどが焼け落ちた。
養和元年(1181年)、重源は被害状況を視察に来た後白河法皇の使者である藤原行隆に東大寺再建を進言し、それに賛意を示した行隆の推挙を受けて東大寺勧進職に就いた。当時、重源は61歳であった。

  
   

  【パンフレットより】
非常に意志の強い 厳格な様子が 伝わってきます。
近くで 拝観することは 可能なのですが ほんとに 厳しい雰囲気なんですよ
 
そして このお堂には 写真のような 「愛染明王坐像(平安末期 重文)」と「阿弥陀如来立像(快慶作)」も 東西隅に安置されてます。
あたしは この「阿弥陀如来立像」が大好きです
【パンフレットより】
この阿弥陀如来さまは 重源本願の像として 東大寺でも とても大切に伝えられたものだそうで それゆえ 保存状態もよく 光背も台座も、その下に着けられている雲形も、すべて当初のままに残されているんですって!
 
この阿弥陀さまは俗に「釘打の弥陀(くぎうちのみだ)」と呼ばれています。
それは南都に留学していた親鸞が、業成って京都に帰る際に、この阿弥陀仏を特に信仰し、持ち帰ろうとしたので、東大寺の僧侶がこれを拒んで、右足の甲に大きな釘を打付けてしまったという伝説からだそうです。
 
仏教を信する僧侶が自らこの阿弥陀さまの足に釘を打ち付けるとは…
その時の様子が浮かんできそうな気がします…
阿弥陀さまの足元をじっと見ますと 足の甲に… 
一緒に眺めていた御婦人が 「あれだわ… きっとあれが釘よね?」と呟かれました
 
いつもこのあたりを お散歩するのですが 鐘楼から見た この大仏殿の景色が大好きです。