二月堂~ ここからの景色は やっぱり最高~♪
二月堂真下を見れば…
「良弁杉」の左にお水取りの夜に若狭から水が湧き出るという「若狭井」の建物が見えます
今日は日が落ちるまで ここにいてよ~♪
そんなことを 思いながら のんびりと過ごしてみました…
日の入り少し前から 雲が湧いてきて ん~残念( > < );
あ~! 興福寺の五重の塔 発見^^;
ふと 気がつくと 回廊にも 釣り灯篭にも ほわんと 灯りが灯りました
カメラマンも そして この「ひととき」のために訪れた人も みんな 刻々と深まっていく蒼い世界に浸り始めました
瓜灯篭にも灯りがともり…
ここの灯りはとても優しい暖かさがあるでしょう?
今頃どうしているのかな?って思いを馳せましょ…
こんなひと時を過ごしてしまうと
お天気のいい夕刻は どうしても 二月堂に行きたくなります^^
2008年12月16日火曜日
東大寺 良弁杉の物語と ついに見たこの景色♪
大紙芝居「二月堂良弁杉」奉納公演:劇団「良弁杉」
開山忌に開山堂に 行きましたら 午後2時から 二月堂の信者参篭所にて 畳一畳の「紙芝居」公演があるとのご案内を頂き これは楽しみ!と ワクワク わくわく♪
【二月堂と良弁杉】
《良弁杉》
まだ、東大寺も二月堂もない頃、若草山(三笠山)のふもとに樹齢およそ六百年、高さ七丈(約20m)にも及ぶ杉の大木があった。その枝に一つ身に包(くる)まれた、生後一年ばかりの良弁(光丸)が掛けられていたとの風説から、後にこの木は良弁杉と名付けられるが、昭和36年(1961)の第二室戸台風(台風18号)で倒壊した。現在あるのはそれに挿し木をして育成した「良弁杉二世」である。
奈良町のわらべうたの館「奈良市音声館(ならしおんじょうかん)」を拠点に活動する「劇団良弁杉」さんの公演で しかも場所が二月堂の無料茶所の奥にある 北参籠所(信者さん用の参籠所)にて ということで ワクワク わくわく♪
初めて 踏み入れる所だったので そりゃ~もう 期待大!!
奈良の昔話「ろうべん杉」 ~簡単にご紹介~
むかし、滋賀県の志賀というところに夫婦がいました。永らく子供がありませんでしたので、観音様にお願いして男の子を授かりました。喜んで育てていましたが、ある日のこと、畑で仕事中、木陰で寝ていた赤子をワシがさらって行きました。母親の知らぬ間にスーと降りてきて、その子をワシづかみに掴んで空へ飛び上がりました。子供のいなくなったのに気づいた母親は飛んで行くワシの後を追いかけましたが、遠くに去って行くばかり。とうとうワシは奈良まで飛んでいきました。今の二月堂の下の杉の木にひっかけて食べようとしました。すると、その子の胸のあたりから後光がさしてワシの目がくらみました。ついに食べる事は出来ず゛あきらめて飛び去って行きました。その下をたまたま義淵(ぎえん)というお坊さんが通り、赤子の鳴き声がするので上をみると、枝に子供が引っかかっているではありませんか。すぐに人を呼んでこの子を降ろしてみると、懐に一寸八分(5.4cm)の金の観音様のお守りが入れてありました。義淵はこの子を良弁と名付けて育てました。良弁は後に立派なお坊さんになり、東大寺の建立に力を尽くしました。さらわれてから30年間、全国を探し回っていた母親ともその杉の木の下で巡り会う事が出来ました。その杉を「ろうべん杉」と云います。・・・・・とさっ^^
たくさんのファンの人が押しかけ 細長い参籠所の中は 障子越しに優しい光が差し込んでます
大きな 紙芝居と それから 楽しい掛け合いで どんどんお話が すすんでいきます
開山忌に開山堂に 行きましたら 午後2時から 二月堂の信者参篭所にて 畳一畳の「紙芝居」公演があるとのご案内を頂き これは楽しみ!と ワクワク わくわく♪
【二月堂と良弁杉】
《良弁杉》
まだ、東大寺も二月堂もない頃、若草山(三笠山)のふもとに樹齢およそ六百年、高さ七丈(約20m)にも及ぶ杉の大木があった。その枝に一つ身に包(くる)まれた、生後一年ばかりの良弁(光丸)が掛けられていたとの風説から、後にこの木は良弁杉と名付けられるが、昭和36年(1961)の第二室戸台風(台風18号)で倒壊した。現在あるのはそれに挿し木をして育成した「良弁杉二世」である。
奈良町のわらべうたの館「奈良市音声館(ならしおんじょうかん)」を拠点に活動する「劇団良弁杉」さんの公演で しかも場所が二月堂の無料茶所の奥にある 北参籠所(信者さん用の参籠所)にて ということで ワクワク わくわく♪
初めて 踏み入れる所だったので そりゃ~もう 期待大!!
奈良の昔話「ろうべん杉」 ~簡単にご紹介~
むかし、滋賀県の志賀というところに夫婦がいました。永らく子供がありませんでしたので、観音様にお願いして男の子を授かりました。喜んで育てていましたが、ある日のこと、畑で仕事中、木陰で寝ていた赤子をワシがさらって行きました。母親の知らぬ間にスーと降りてきて、その子をワシづかみに掴んで空へ飛び上がりました。子供のいなくなったのに気づいた母親は飛んで行くワシの後を追いかけましたが、遠くに去って行くばかり。とうとうワシは奈良まで飛んでいきました。今の二月堂の下の杉の木にひっかけて食べようとしました。すると、その子の胸のあたりから後光がさしてワシの目がくらみました。ついに食べる事は出来ず゛あきらめて飛び去って行きました。その下をたまたま義淵(ぎえん)というお坊さんが通り、赤子の鳴き声がするので上をみると、枝に子供が引っかかっているではありませんか。すぐに人を呼んでこの子を降ろしてみると、懐に一寸八分(5.4cm)の金の観音様のお守りが入れてありました。義淵はこの子を良弁と名付けて育てました。良弁は後に立派なお坊さんになり、東大寺の建立に力を尽くしました。さらわれてから30年間、全国を探し回っていた母親ともその杉の木の下で巡り会う事が出来ました。その杉を「ろうべん杉」と云います。・・・・・とさっ^^
たくさんのファンの人が押しかけ 細長い参籠所の中は 障子越しに優しい光が差し込んでます
大きな 紙芝居と それから 楽しい掛け合いで どんどんお話が すすんでいきます
良弁さんが 年老いたみすぼらしい婦人の子供であるということを 小さい頃から身につけていた観音さまのお守りでわかったときの 感動! 思わず目をぬぐう観客もおられました
物語の中に すっかり はまりこんで 素晴らしいエンディングに 心が震えていたときのことです!
「今でも ここに ろぉ~べんすぎが あったとさ!」
のとたん 障子が パッパッパッと 開けられたのです!
あああ~!!! わぁぁ~!!!
二月堂・お松明が上がってくる階段・三月堂も見え そしてそして 良弁杉!
冬だというのに 暖かい陽射しの中に 素晴らしい 奈良の景色が広がったのです!
あたしにとっては 何よりの贈り物でした。
大好きな写真家 入江泰吉先生の作品の中に 雪の二月堂を撮ったものがあるのですが いったいどこから…この景色…と いつも思っていた その景色が 目の前に広がったのですから もう 心臓が バクバク!
ああ~ ここだったんだ! 此処から見た二月堂だったんだ~!と 大騒ぎ^^
会場を皆さんが片付けておられる間も ずぅ~~~~~っと 景色に見惚れておりました…
東大寺 鐘楼の丘 特別開扉♪ と釘打の弥陀♪
「鐘楼の丘」とは 大仏殿の東側の台地のことです
念仏堂・鐘楼・俊乗堂・行基堂が あるんですよ~
本来は 7月5日に「俊乗忌(しゅんじょうき)」…鎌倉時代に「造東大寺大勧進」として大仏殿をはじめ東大寺の伽藍を復興され、建永元年(1206)、86歳でその生涯を終えられた俊乗房重源上人の御忌にあたる法要の日に 特別拝観させて頂けるのですが 12月16日の 良弁僧正の開山忌にも 拝観料500円で 拝観させて頂けるのです
ということで いそいそと「鐘楼の丘」に 参りました
NHKの「ゆく年 くる年」で 何回か放映された 除夜の鐘のシーンが 浮かびます
重さが26.3トンもある大鐘は 国宝!
東大寺創建当初のもので 鐘声の振幅が非常に長く
「ゴォォォォ~~ォン~ォン~ォン~~」って感じなのでしょうか…
「奈良太郎」という愛称もあり 日本三名鐘の一つとされているそうです。
鐘の真下から見上げてシャッター!
けっこう ドキドキするんですよ^^;
そして ぐるりと 見回して 先ず目に入ったのが 朱塗りの「念仏堂」(重文)
この写真(下左)の 11月に撮影したものですが 普段 扉は 閉まっています。
今日は 開けてくださってましたので 地蔵菩薩坐像(重文)さまと ゆっくりとご対面です~
かなり 大きさあるので のぞいて びっくり^^ですよ
そして そこから目を北に・・・・
小さいですが 凛とした 「行基堂」があります。
ここも 今日は 扉が開けられてますので 行基さまとご対面できるんです
これは もとは重源上人の御影堂だったのですが 元禄時代に上人の像を「俊乗堂」に移したので、仏師賢慶の造った行基菩薩坐像が安置されてます。
この行基さま… とっても厳しいお顔されてます
びっくりするくらい 厳しい雰囲気が漂ってるんですよ~
【行基堂】
そして、いよいよ 「俊乗堂」!!
内部は 結構広く 中央に重源上人坐像(国宝 快慶作)が ご本尊として安置されています。
重源上人と東大寺…
東大寺は治承4年(1180年年)、平重衡の南都焼討によって伽藍の大部分を焼失。大仏殿は数日にわたって燃え続け、大仏(盧舎那仏像)もほとんどが焼け落ちた。
養和元年(1181年)、重源は被害状況を視察に来た後白河法皇の使者である藤原行隆行に東大寺再建を進言し、それに賛意を示した行隆の推挙を受けて東大寺勧進職に就いた。当時、重源は61歳であった。
念仏堂・鐘楼・俊乗堂・行基堂が あるんですよ~
本来は 7月5日に「俊乗忌(しゅんじょうき)」…鎌倉時代に「造東大寺大勧進」として大仏殿をはじめ東大寺の伽藍を復興され、建永元年(1206)、86歳でその生涯を終えられた俊乗房重源上人の御忌にあたる法要の日に 特別拝観させて頂けるのですが 12月16日の 良弁僧正の開山忌にも 拝観料500円で 拝観させて頂けるのです
ということで いそいそと「鐘楼の丘」に 参りました
NHKの「ゆく年 くる年」で 何回か放映された 除夜の鐘のシーンが 浮かびます
重さが26.3トンもある大鐘は 国宝!
東大寺創建当初のもので 鐘声の振幅が非常に長く
「ゴォォォォ~~ォン~ォン~ォン~~」って感じなのでしょうか…
「奈良太郎」という愛称もあり 日本三名鐘の一つとされているそうです。
鐘の真下から見上げてシャッター!
けっこう ドキドキするんですよ^^;
そして ぐるりと 見回して 先ず目に入ったのが 朱塗りの「念仏堂」(重文)
この写真(下左)の 11月に撮影したものですが 普段 扉は 閉まっています。
今日は 開けてくださってましたので 地蔵菩薩坐像(重文)さまと ゆっくりとご対面です~
かなり 大きさあるので のぞいて びっくり^^ですよ
そして そこから目を北に・・・・
小さいですが 凛とした 「行基堂」があります。
ここも 今日は 扉が開けられてますので 行基さまとご対面できるんです
これは もとは重源上人の御影堂だったのですが 元禄時代に上人の像を「俊乗堂」に移したので、仏師賢慶の造った行基菩薩坐像が安置されてます。
この行基さま… とっても厳しいお顔されてます
びっくりするくらい 厳しい雰囲気が漂ってるんですよ~
【行基堂】
そして、いよいよ 「俊乗堂」!!
内部は 結構広く 中央に重源上人坐像(国宝 快慶作)が ご本尊として安置されています。
重源上人と東大寺…
東大寺は治承4年(1180年年)、平重衡の南都焼討によって伽藍の大部分を焼失。大仏殿は数日にわたって燃え続け、大仏(盧舎那仏像)もほとんどが焼け落ちた。
養和元年(1181年)、重源は被害状況を視察に来た後白河法皇の使者である藤原行隆行に東大寺再建を進言し、それに賛意を示した行隆の推挙を受けて東大寺勧進職に就いた。当時、重源は61歳であった。
非常に意志の強い 厳格な様子が 伝わってきます。
近くで 拝観することは 可能なのですが ほんとに 厳しい雰囲気なんですよ
そして このお堂には 写真のような 「愛染明王坐像(平安末期 重文)」と「阿弥陀如来立像(快慶作)」も 東西隅に安置されてます。
あたしは この「阿弥陀如来立像」が大好きです
この阿弥陀如来さまは 重源本願の像として 東大寺でも とても大切に伝えられたものだそうで それゆえ 保存状態もよく 光背も台座も、その下に着けられている雲形も、すべて当初のままに残されているんですって!
この阿弥陀さまは俗に「釘打の弥陀(くぎうちのみだ)」と呼ばれています。
それは南都に留学していた親鸞が、業成って京都に帰る際に、この阿弥陀仏を特に信仰し、持ち帰ろうとしたので、東大寺の僧侶がこれを拒んで、右足の甲に大きな釘を打付けてしまったという伝説からだそうです。
それは南都に留学していた親鸞が、業成って京都に帰る際に、この阿弥陀仏を特に信仰し、持ち帰ろうとしたので、東大寺の僧侶がこれを拒んで、右足の甲に大きな釘を打付けてしまったという伝説からだそうです。
仏教を信する僧侶が自らこの阿弥陀さまの足に釘を打ち付けるとは…
その時の様子が浮かんできそうな気がします…
阿弥陀さまの足元をじっと見ますと 足の甲に…
一緒に眺めていた御婦人が 「あれだわ… きっとあれが釘よね?」と呟かれました
東大寺 開山堂 良弁忌♪
【特別開扉】 12月16日午前9:30頃より午後4:00まで 拝観料:無料
東大寺二月堂の真下、4月堂の北側に白壁に囲まれたところがあります。
普段は全く気付かずに 二月堂に気をとられちゃうのですが…
12月16日だけは その門前の雰囲気が 一変します…
テントが設けられ 記帳している人の列が続きます…
今日は 東大寺初代別当良弁僧正(ろうべんそうじょう)のご命日なのです
普段は全く気付かずに 二月堂に気をとられちゃうのですが…
12月16日だけは その門前の雰囲気が 一変します…
テントが設けられ 記帳している人の列が続きます…
今日は 東大寺初代別当良弁僧正(ろうべんそうじょう)のご命日なのです
門前の看板と… 二月堂上から見下ろした門前のテント^^
門を入ったところに お水取りで使われた お松明が 飾られています
門をくぐりますと 池があって… その向こうに宝形造り(ほうぎょうづくり)の小さなお堂があります。
これって 国宝のお堂なんですよ~!!
とても愛らしいお堂なのです
次々と参拝の方が訪れます
素晴らしいことに 靴をぬいで このお堂(国宝)の中に入れるんですよ~!
お堂の中に内陣があり その中に八角造の厨子…
靴をぬいで 一歩入った真正面に 良弁僧正の像(国宝)がおられます
【パンフレットより】
あ~ この人が 良弁さんなんだ~!
なななんと 力強い がっしりとした 今にも動きだしそうな素晴らしい像なんですよ
前で ペコ!とご挨拶して 堂内 内陣のまわりを 時計回りに歩かせてもらえます
内陣のまわりはこんな感じなんですよ↓
とても凛とした雰囲気がお判りになるでしょうか?
くるっと東側にきますと…
「お水取り」を始めたという 実忠さまの像がお祭りされていました。
この像は 二月堂のほうを向けて安置されてます
まるで いつも眺めておられるかのように…
二月堂から見た開山堂 そして開けられている障子の向こうに実忠さまのお厨子があります
↓
普段二月堂から 遠くの景色を眺めてたけど
開山堂を こんなに眺めたことはなかったです~
そして 上写真の 開けられた障子から見た二月堂の景色!
実忠さまは こうして 二月堂のお水取りを毎年御覧になっていたんですね~
そして 開山堂のまわりから二月堂を臨んでみました
特別開扉の場所ならではの景色です
そして「開山堂」といえば もう一つ有名なのが 「糊こぼしの椿」
奈良の「三名椿」の一つです。
■「三名椿」とは
1.白毫寺の五色椿(七福椿)…1本の木に、アカ、白、桃色、斑入りと色とりどりの花が咲き乱れる
2.伝香寺の散椿(武士椿)……花びらを1枚ずつはらリはらりと散らしていく。花がまだ美しく咲いているのに潔く散って行く姿を武士の心に例えて「武士椿」と呼ばれるように成った。
3.東大寺の糊こぼしの椿 ……「お水取り」に先立って、練行衆は行に使う造花の椿を作るのですが、誤って紙の上に糊をこぼしてしまいのりの斑点に庭の椿が似ていたことから名づけられた。
残念ながら この椿が咲く三月頃は この開山堂は公開されてません( > < );
それでも 人々は白い塀の向こうの「糊こぼし」の椿に心をよせます…
今日も 口々に「どれが糊こぼし?」と知ってる人は その椿を庭に探していました。
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